桜? あ、そうか、札幌だった
1ヶ月ぐらいちがうんだ、なんかやっぱり、いいなぁ、桜、こいのぼりと桜かぁ
>魔法の杖持ってるけど、使わないから、無くても使えるけど
この意味不明的なコトバ
魔法は使わなかったけれど、さまざまな瞬間に自身で見せてくれた
昨日の今日で、本当は言いたくないのだけれど、だけど
うまいなぁ(笑)
おもしろいなぁ、清々しいなぁ
もっとやって、もっとやって(笑)
戯曲はそれぞれに向かい方がちがう、同じ作者でも、その人自身の年代の変化や、書かれ方もちがう、ト書きが細かにあるとか、セリフだけとか
ある戯曲で、それは、ほとんど山下演出的な細かさを必要としない、演じる者自身による、毎回の披露、的なものなのだけれど、それが成り立つのは、ト書きが細かに書かれているから、その通りにやっているらしく、それだけにあって、満足する見ものになることに、山下さんはとても驚いていた
もちろん、演じるにあたっての、向かい方の資質、そうつくられてきた本人の環境、活動、など、彼女の全部と作品との相性がマッチしたことも大きい
ある程度話が進むと、ト書きはほとんど無くなり、セリフからの自由演技、となるらしいのだけれど、それまでに動いてきた部分で、自然と動いていかれるものはあるようで、でも、カラダを動かすことは、そうそう簡単にはいかないから、そこで必要となってくるのは、やっぱりそれまでの段階と違和感の無い、演出だったりする
山下さんは、誰の台本でも、ましてや自分の台本でも、そうは書いてあっても、お前の裁量でやってみて、とか、ここは本当に演技はこうなのか? で、ずっと演劇をやってきた、らしいから、彼女がセリフや行動の書かれてあることを、そのままに、疑いもせず、やって見せて、おもしろい、となって
ここにきて、Lab開始6ヶ月経って、山下澄人は、驚愕している、らしい
稽古しすぎで、失うものがある人もいれば
稽古を重ねることによって、自由に動けるようになる人もいる
台本を信じていいのじゃないのか、どうにもならん、とあるならば、理由はともかく、何かがあって、どうにもできなくなって、を一心に背負った、どうにもならん、をそのまま露骨にやって見せればいいのじゃないのか、と
そこから戯曲の何かがつかめるのかもしれない
そう思って同じ作者の別の戯曲でやってみた
熱演でなく、うわっつらでなく、その人のそれまでが匂うセリフ、神妙に、切実に、大げさでなく
はっきりとはわからないけれど、でも、何かがいい感じに流れている感覚、やってみて、わかること、試行錯誤して、さまざまを経て、たどり着いたあるやり方は、同じであって、何かがちがう、見ている側の気分だろうか、知っているからそう見えるのだろうか、感じた気がするだけだろうか、いや、でも、すっとやれていることが、違和感を感じないことが、何よりもちがう
色々やってみたからこその、演じられるカラダ、声
そして、その微妙な塩梅が長く続いて、本人が実感し始めると、その塩梅はくずれた
微妙なラインでそれはクサイ演技になる、重くなる
どうしたら維持できるのか…
>やっていて、あ、これか、と思えてくると、ついついそこに乗っていってしまう、そうじゃなくて、そこには乗らない、あぁこれね、この感じね、と頭で思うだけにして、そのままやり続ければいい
論理的にはそうだけれど、難しい、だけど、今ならできるかも、と思えるのも確か
これが最終決定、ではないのだろうけれど、だけど、考え続けていく、ということは、結論を出さない、ということではなくて、小さな結論のとどまらない積み重ね、だと思うから、いま、この段階で、突き当たった、コレ!、は、本当にそれでいいのか、更なる研究へと、再び突き進む
そんな感じの今日
>始まる直前の舞台が、一番おもしろい、期待値がMAXだから
そこに人が出て、プラス、動いて、プラス、と、どんどんプラスされていかなければ、おもしろさは継続していかない
山下さんは、人が出てきた時点で、その作品がおもしろいかそうでないかがわかる、と以前言っていたのだけれど、そういうことだったのかな
と、過去作品を振り返ると、確かに、プラスされてた、ニンマリした、覚えてる、感覚を、あれかぁ、あぁいうことなんだ
>ただMAXは続かない、いつか必ず落ちる、だから、その上下の波を打ちながら、いかに作品を維持していかれるか、ということ
それは具体的にどうあればいいのか
やってみるしかない
今日、信子さんと安瀬さんの戯曲を覚えている所まで通してやってみた
全体の半分弱かな、45分だった、すごくない?(笑)
本人は、(演技が)速かったよね?、と言ったけれど、いやいや、速い、はバロメーターじゃない、流して、こなしてしまうことがいけないのであって、一つ一つを初めてに確実に演じて、その結果生まれるテンポなり、行動は、逆に、生きている証、に思える
この45分の後半になってだろうか、なんだかきちんと座って観ていることが、逆に申し訳なく思えてきた
あんなに自分をひらいている登場人物に対して、こちらが壁のように居ていいのだろうか、友人のように、リラックスして見るが、聴くが、正しいように思えた、劇場じゃありえないことだけれど、なんか、そんな、近寄ってみたい、話してみたい、そんな時間だった
蟻がね、たまに蟻が場に現れる
吉江さんは、紙に乗せて
安瀬さんは、つぶさないように上手につかんで
山下さんは、指に招き乗せて
そうして外へ放つのだ
ハタノさんの時は…蟻自体が消えた…(笑)
*****
*****
*****
追伸
2012-05-08(火)保坂和志ひとりトーク/神保町 東京堂
15分前に会場へ入ると、8割ぐらいすでに席が埋まってて
縦長の部屋の前方つきあたりに、ホワイトボードがあって、横のイスの上に水色?紫?のようなリュックらしきものが見えて、テーブルが少し見えた
そのすぐ前辺りからだろうか、横に9〜10名、出入りしやすいように間に2つの通路が作られていて、後ろまでイスがびっちり
目の前は緊張するのか、通路側がラクなのか、少し横からの方が人の間から見やすいのだろうか、ど真ん中や目前の座席が空いていて、最後の方で来た人は、逆に前方や中央に案内されていって、恐縮しながら更に席に人がはまっていく
私は入口に近い一番後ろに座って、後ろにある販売用の単行本をなにげに見ていた、そのテーブルの手前に、手書きで、3種類、紙に何か書いてあって、本が分けられていた
サインなし、ネコ入り、サイン入り
ネコ入り?と思って、その前まで見に行って、販売のお姉さんに、このネコ入りって、どういうのでしょうか?見てもいいですか?と聞いたら、快く一冊開いてくれて、お持ちになられたものでも、あとでサインできますよ、と教えてくれた、あ、猫だ、えーー、保坂さんて、猫描くんだ、えーかわいいーー
ネコが歩いてた
お話を聴くのは私は初めてで、去年、札幌での打ち上げで、同席させてもらったのだけど、遠くから、お姿を拝見する、にとどまり、さて、どのような声で、どんな風にお話、となるのか
時間になって、拍手で迎えられる、ではなく、するっと足早に入ってきて、前に立ち、手なれているようにマイクを持ち、今日はもしかしたらこれ出来ないんじゃ無いかと思ってた、という話から入って、それは体調のことで、延々と時刻も細かくその事態のお話で、現に開催されているので大事には至らなかったようだけれども、いくらでも深刻になる話が、生きてればそういうこともあるよね、生きているんだものね、やっぱり全力でもゆるくても、いつ途切れても後悔のない今を生きたいなぁ、と思えて、いや真剣になのだけど
まずは、お酒は飲んでも良いみたいだし、少しホッとした
>おかしな話をしたり、ロレツがまわらなくなったら、あ、だけど、保坂はおかしな話しかしない、って言われるけど(笑)、ま、その時はよろしく
私は、自分の興味の方向を、他人に話して、共感された実感をあまり持ったことが無くて、だから、自分の嗜好は、話すと自分だけ興奮してきて相手がぽかーんとしてしまうのがわかるから(笑)あまり言わないのだけれど、いくつか保坂さんの話の中で、あ、そう思う人もいるんだ、って思えたことにびっくりした
絵画の筆跡からの話、とか、私の場合は、絵はそこから自分でそれを描いてみる想像なり、色作りの想像だから、厳密にはちがうけど、でも、なんかちょっと自分にリンクする嬉しい視点のキーワードを各所で拾って、なんかわくわくした
話すリスト、を紙に書いて持参して、それを見ながら話しているとのことで、だけど、話の向かう方向が、聴いているうちに、そういえば、の話に枝分かれていって、で、たまに戻ったり、それともそれもリストの一部なのかな、だけど、元々の話をこちらも忘れていって(笑)、ぼや〜んとしながらも、なんだかだらんだらんと思考が巡るのを聴いていて、こんな風に頭の中って巡るよね、口に出す時は、ある程度まとめようとか思ったりするのだけど、そのまんまを出す人って初めて見た
そんな枝分かれの先の先の、段々と乗り始めて、まだまだこれから、の、だら〜んと気持ちよく流れていた頃に
>ってことで、これで
と午後8時、突然終わった
びっくりした
びっくりしたけれど、はい、それじゃ、となぜか思えて清々しい帰り道(笑)
聴きながらずっと別のことも考えていた
この軽やかな自由さは、何から、そうと思うのだろうか、と
声、しゃべり方、表情、しぐさ、選ぶコトバ、左右されない何か、知識、とどまらない思考……
飛び跳ねてる、思考も、カラダも、あぁ、なんか、そんな感じ
私も友人と話す時は、どんどん枝分かれしたり、飛んだりするから、そのままに普通に聴いていたのだけれど、あの枝分かれになっていく話を聴きながら、細かく説明しようとする感じが、なんていうか、とても誠実さを感じた
話そうとするそのこと、トークショーだから、ではない部分
友人と雑談するように、自身を開いていくそのこと
特別の感性としない、隔たるもののを感じないフラットな空気
それと、小説の制作ノートを何冊か参加者に回して見せたそのこと
そのノートは、大きさも大小さまざまで、横書き、縦書き、逆さま、ペンの色、その中で色々混ざっていて、値札がついたままのものもあって、書くことが日常の一部になっているのだろうか、
最初のページがキレイで段々雑になる、ではなく、コトバを綴る文字は、どのページも崩し方が似ていて、でも時々丁寧に、時には大きくクタクタに、綴られていて、どんな勢いで、場所で、その時それが書かれたのか、と思ったりした
このままを本にしたらおもしろいのになぁ、清書でなく、書いてぐじゃぐじゃに雑に消した部分もそのままに
2012-5-5 Lab21/∞ EIKO KIYOTA
Lab の前に
琴似のコンカリーニョで開催されるひとり芝居へ
発売初日に購入したチケットを持って、小林さんの太宰治『駈込み訴え』
劇場にあったチラシを読む、劇団の看板俳優、おぉそうなんだ、さていざ、開演、となって、暗転からライトで浮かび出現してきたのは、白い衣装のバレリーナ、開催前日に出演順を劇場に問い合わせたら1番目と言われたのだけど…、思考の切り替えがままならず、え″、小林さん?うそぉ…、え(笑)、え(笑)、って、でもよく見たらやっぱり女性で、1番目じゃなーい、で、順番変わったのかな、やっぱりチラシ掲載順の2番目か、と待っていたら、舞台上でなく、客席から女性の声がして、観客を巻き込みながら出てきて…
3番目で、Bブロック最後まで、居た
Labで私が知る小林さんはそこには居なかった、声も、カラダも
この作品に限り、なのかな、んーー、いや、でも、だけど
確かに3人ともちがう、ちがうけれど、同じに見えた、演劇、のあるカタチ、演劇を苦手、と思うことの、それ
苦手、であって、そこから、あぁおもしろいんだ演劇って、って改めて真正面から全身で思えたのが山下澄人の演劇、演出、思考の向かう先、だったから、なんていうか、苦手、に出会うと、自分の狭さを感じて、自己嫌悪に陥る
Labで自分がちゃんと居られているのかな、って、ドロドロになった
山田さんに話した時、オレが昔やった劇中劇みたいなやつ?、と言われて、あぁ…そうそう
怒涛のセリフ、何かに訴える表情、したたる汗、キレのある身のこなし
変化が軽いから、とても達者に見えた
私もそこへ行きたいのに、どうしても跳ね返されてしまうから、セリフが全然耳に入ってこなかった、それまでに体力がかなり消耗していたのもあるけれど、息があがってきて、だから目だけで追っていた
一度そでへ入って、しばらくして、必死な形相で無言で足早に戻ってきた、あそこのあの感じが、一番あの時間の中でおもしろかったなぁ
Labで見る小林さん、みんな観に来ればいいのになぁ
Labに参加する、ということの、両立、それはどう成り立つのかな、現実的に、と改めて思った
個々の場のやり方、に俳優が順応していかれるか、の達者さ、切り替え、は必要なのだろうか
たぶんLabのありたい場とはちがう、Lab側に寄れ、というのではなくて、そこで考え触れたものが、どう持ち帰れるか、先で考え開けるか、もしくは、自分の思考や疑問を、Labで開いてみることで、何かを思い至れ、やれるか
でもそうなると、演出家の場での比重次第に思えてくる、演出家に権限がある、と思っているから、なのか
実際、江崎さんは、両立の混乱をみんなの前で以前話している
混乱を認識して、あきらめず、どうあれば自分が自由になれるのか、できるのか
そうして向かっている人もいる、迷いながらも、焦るだろうけれど、まだまだ時間はかけてもいい、それぐらいのことをしているのだから
そんな、わからない、を広げて話ができるのも、Lab の時間
そんな時の山下さんは、真剣に、じっくりと、聞いて、自分の経験を話したり、同じように悩んだり、新たに思考が何かをとらえようと巡っているように見える、同じ位置に居ながら、考える先は、全方向に
山下さんの、昔、演出家との稽古での話
〉じゃあ立ってやってみて、って言われて、でも、オレは座ってやろうって決めていたから、できない、って言って、そこで散々話して衝突するわけだけれど、見ているまわりからは、澄人さん、立てって言われてるんだから立ってやってみればいいのに、そんなわざわざケンカしなくても…みたいに言われた、だけど、そこでケンカしないで、どうすんのさ、って思ってた
真剣に考えているから、おもしろくしようと思っているから、の衝突することの正しさ
わがままに押し通す、ではなく、丁寧に、あきらめない本気
早めにレッドベリーへ移動して、しばらく横になってウダウダ
始まってみると、場の様子に変化が多かった
見学から参加者になった人、初参加、初見学、久しぶりに出会えた人の見学、再びの見学
開始ギリギリにやってきた山下さんは、何かに興奮している感じで、ピリピリしていて、でも冷静で、しばし、演技について、改めて思うことを話した
>熱演ではない
あぁ、コトバにするなら、それか
熱演、とはよく言うけれど、何をもって熱演というのか、改めて考えるとよく理解できていないのだけど、熱、を完全に否定してしまうと、何かに違和感が残る
でも話すに共有しやすいコトバでいうのならば、やっぱりそれ、か
熱、は、見えるべき、なのか、見せるべき、なのか、見せるが演劇、なのか
たとえば、汗かかずして、ワザのすごさを見たならば、時にそれは、熱演と評されるより、はるか上の超人的な見ものへ飛ぶ
すごいものは、熱、と観る側が認識するより前に、演じる人に自分の全部で向かいたくなる
客観的に、うまい、達者、の評価は、おもしろさとは別物
評価されたいから、立っている、わけではない、はず
とか、自分の中でぐるぐる巡り散っていて、疑問を抱えながらの傾聴、見学
山田さんはこの日、歯が折れるぐらいやれ、とある演技に対して言われて、あぁ、歯ね、うん、折る、歯折るぞ、歯は折れていい、と壁に向いて普通に静かに自分に言い聞かせて、演技に入った
あぁ、だから、やるなら、そこまでやる覚悟、の甘い寸止めではなく、何かを失う自己不安より、やってみせるにだけ向かう強さ
だから、山下創作でやってきた者が、過去どれだけの保身の無さに演技に向かうか、それが本番にどう出るか、どう見えるか、見えたか、ゆえの、爽快さ、の記憶
それは熱演と言われる部分とはちがう、気持ちじゃないから、気持ちを見せているわけじゃないから
ん? 熱演とは、気持ちのことか?
新しい参加者の緊張
台本を読んでいる時は、目が活字を追えばいいから、寄り所があって居やすい、台本を手からはずして、カラダが自由に放たれた途端、それは、正面の観客に向かうように立つのだけれど、つかまり所の無い空間にポンと置かれ、全身に皆の視線を浴びて、一気に頭のてっぺんから足の先、手の先、顔の筋肉、へと緊張が走るのが見えた
>緊張をおさえようとしないで、そのまま出していいから
抑えようとすることに気を持っていかない、演技への集中を欠かさない、どうコトバを吐くか、ゆっくりとは何がゆっくりなのか、間ではなく、1文字1文字を丁寧に確かめるように出す、その役の先にいわんとすることを知らないのだけれど、その役のたたずまい、異質、抱え持つもの、何ゆえのコトバか、の何かとリンクするように、何かが漂い、なに?どうした?と、こちら側が自ら聴き入ろうとする体勢に向いていく
この状態でずっと行くらしい、さて、こちらが聴き入ろうとする体勢、は、どう維持されていくのか
なにが、それ、として、必要とされてくるのか
そんなことできるの? だれにもわからない
わからないから、やれない、のではなくて
わからないから、やる、さまざまに自分でやってみることの必要、やって初めてわかる、これはちがう、の実感、何がちがうと思うのか、からの発見
わかる、より、ちがう、を、感じる、見極める
昔、ハタノユリエが山下澄人にインタビューした中で、初めて演劇の台本を山下さんが書いてみようとした時の、おもしろくないものはわかっていたので…、を思い出す
おもしろいものがわかる、ではなく、おもしろくないものがわかる
あれを初めて読んだ時、ここがすごいんだ、って思った
というか、何年前の話なのだろう、ずっと考え続けて、一生の半分以上を演劇に身を置いている、それでもわからないことの、簡単に素通りしない日々あっての現在
あのカラダの中には、何が、どんな風に、どのくらい、息をして、ぶつかって、渦巻いているのだろう
そんな中から出てきたコトバ、疑問は、いつも簡単に聞き逃せはしない、全てを肯定に向けるのではなく、素通りしてしまう肩をたたかれるような感じ
なんでそう思うのかなぁ
そうなるだけの目撃、実感、これまで触れてきた全部で、か
取っ掛かりとして、何か参考にできる本物の観察
真似の真似、ではなく、こんな感じ、の安直ではなく、真剣に観察、からの研究
山下澄人を含めて、途方に暮れながらも、ごそごそとバタバタと動いた日
たくさん山下さんも話した
伝えようと選ぶコトバは、その伝えたい芯のまわりにあって、そのものというより、共有できるまわりを集めて、そのもののカタチを見せるような、決して例えのコトバではなくて
山下さんのカラダから表現しきれない肝心のそれは、一体何なのか、必死に見ようとつかもうとしたけれど、どうかな、かすることはできたかな、でも、わからない、で済まさず、あの時間、そこへ行こうとしたことがきっと、考える、に必要なんだ
カラダだけでなく、思考にも柔軟体操が必要、と実感、どうすれば可能なのか、頭の中を揉みたい衝動
いつもとちがう、に触れること、は、どれだけ体力を消耗するか、思考を混乱させるか、カラダにダメージが大きいか
混乱によって、途方に暮れることは、悪いことじゃない
そう思いたいのではなくて、それによって、素通りしてしまうことが見えることだったり、そこで考えることが、何かの実感につながったりする、そのことの知る必要
からの〜〜〜、みたいな
思考であっても、体力ないとだめだな
20:00 Lab終了
22:30 就寝 カラダも頭も何もかも疲れすぎ、なのに、思考だけ眠らない
2012-4-15 Lab20/∞ EIKO KIYOTA
なんだか皆集うのが偶然にも早かった
まだ20分もある〜と言いながら、それぞれがゆっくりと、ぶつからない場に移動して、自分のカラダに必要なほぐしに、勝手にひとり向かう
さぁやりましょう体操、みたいな感じはもうない
仰向けの者、立つ者、うつぶせる者、開脚する者、前屈する者、ぼーっとする者
それぞれが自分のカラダとゆっくり会話する
山下さんも珍しく、ほぐす、筋をゆっくり伸ばす
自分のカラダの構造、イメージ、無理のない形から、おぉY字バランス!!
おぉそんなことも出来るのかっ
> (超ふつうに)できるよ
腰痛持ちだからこその、カラダを知る必要、メンテナンス
山田さん、安瀬さん
山田さんが戯曲本を手にとって、セリフを確認しに戻る
ページがどんどん前へ送られる、2センチぐらいの厚さ、の、目次ページかと見間違うほどのまだまだ最初の方で開き読む
えーーーー、まだ、あんなっ!!!
恐るべし戯曲
通してやってみると、気力も体力もどんどん消耗していくらしい
終わると山田さんは、グダグダだ、かなり放心状態だ
つかんだら、少しラクになるのだろうか
何がしっくりくるのか、安定という意味ではなくて、この戯曲の息吹き
江崎さん、小川さん
再びの組み合わせ
江崎さん
自分がどうあれば、それをつかめるのか、ジレンマに苦しむ
Lab の一つのあり方
立つのは一人だけど、だれも敵じゃない
不安から逃げずに、やってみる、考えてみる、やってみる、考えてみる
この戯曲をおもしろいと思っている人なのだから、焦らない、焦らないフリもしない
今だけだ、できたら、思い出せない、今の不安、迷走、じっくり味わう、怖いだろうけれど
今のこの感じさえも、何かの演技に繋がるかもしれない
表現者に無駄は無い
どういった部分がおもしろいのか
そこは、表現者として、大事に記憶しておく直感、そして、実演に繋がる、に思う
小川さん
シーンを覚えてきているようで、やっぱり、読むではなく、しゃべる、が、この戯曲をより浮かび上がらせると感じた
山下さんからの演出に、人物がどんどん浮かびあがってくる
淡々としゃべる中に、気持ちじゃなくて、見ているであろう何か、それが声に直結しているように感じた
二人が、とても溶け合う箇所がある、仲良くなるシーンではなくて、内容がでもなくて、演じている二人が
がんばってって言って
あのシーンだけが、実感のコトバと感じた、のはなぜか
この戯曲をやる人の年代は、人物にも近く感じる
演じるより、本人自身を出していいのではないか、自身の実感を手がかりとして、と思ったりした
ストレスを発散してみたらどうか、いい意味で、この戯曲で
なかなか手ごわい戯曲、やるなー、ハタノユリエ
信子さん、安瀬さん
昨日の山下さんからのアドバイスから、どんな魔法を使ったのか、と思えるほどの、もののみごとに飛び立ち上がった、とだれもが実感した、と思う
アドバイスを真に受けるべきところ、吟味すべきところ、それらが的確に彼女の中を通って出た
昨日、早い、と思った、今日も、昨日ほどではないけれど、早い、と思った、思ったけれど、全然別物だった
今日のは、何と言えばいいか…生きもの、みたいな、人間、みたいな、だれにも見られていない本来の自分、みたいな
ワル信子降臨、みたいな(笑)
で、どっか乙女だったりして、かわいい
見ている側をくすぐるテクニックを知るのか知らないのか
ザツで、細やかで、大きく丸出しにされた実演
その思いっきりの良さに、昨日からここへ至れた向かい方に、始まってそう長くない時間に、私の中で、なんだか感極まってしまって、涙が出てきて焦った
冷静になれなくて、しばらくぼーっとしていて、また観始めて、繰り広げられる演技に、またくすぐられた、終わって思わず拍手した
覚えたところまで披露して、少しお話
昨日、お酒の話があったから、ワインを夕べ飲んで、やってみた、と言っていた、自分の嫌いな酔っ払いを参考にしたかどうかはわからないけれど(笑)
それと、カラダが自由になるために、テーブルを覆ったことの大きさ、それは彼女の実感、そして、そうであるからこその、飛び散った人物
好結果と保証は無くても、真剣にトライしてみるフットワークの軽さ
これが飛ぶチカラ
安瀬さん、ずっと後ろ向いているから、観れていない
見せてあげたいなー
というか、信子さんにも、あの生を見せてあげたい
演じる人は、自分の観客になれない、のだなぁ
でも、かわいそうには思えない、だって、考え演じることが楽しそうなのだもの
がっつり楽しみましたー
2012-4-14 Lab19/∞ EIKO KIYOTA
あーー 今日は、よぉーーく遊んだぁぁ!!!
くったくたに遊んだぁぁぁあぁああ〜〜っ!っっ
最初から最後までの3時間
ゆったり、急がず、焦らず、淡々と、じっくりと、どうやれるかの、創るものだけに向かう、でも一直線でない、特別でない、保つでもない、力むでもない、
…考えと実の共存
午後5時から8時まで、徐々にというより、同じ濃さで、時間が過ぎていった感覚
たとえば、あぁ、これ、これです、と言いたいLab、研究の時だった
こんな日が訪れて、やっぱり、と思うのだけど、前回の分は、次回が始まるまでに何としても書いておくべきで、時間がかかっても、書いておいてよかった、と自身に思う
今回の後では、先週のことなど、思い出せないほどの、記憶、実感の喪失、覚えているのは、次の一歩がどう行かれるのかさえの迷子感があったと思うのだけど
吹っ飛んだ
いや、立つ本人には細かに残っているのか? ゆえの今日か?
としても、私自身は失っていると、前回のものを自分で読みかえして、それでもぼんやりとしかわいてこない
飛ぶための助走、何度も何度ものあとに果てる息切れ、そんなものがあっても無くても、普通と思える、特別でない、向かう空気
内容、ではなく、いかに進んだか、ではなく、いかにわかったか、ではなく
どう過ごせたか、どう、場、にいられたか
そう過ごせたことの偉大さ
そうありたいと願ってきたことの実現
ありたいと思ってきたか?
イメージはたぶんあった、薄っすら
でもなってみて、これ、この過ごし方、みたいな、コトバにすると消えそうな感覚
どんなに書いたって足りない
そして、もうありありとは思い出せない、思い出したところで、再びとはならない
もうその先へ向かっているのだから
たぶん、今回においては、最初の戯曲の2人が場を創った
安瀬さん、吉江さん
久しぶりの戯曲
色々な組み合わせの夫婦を見てきたけれど、夫婦というより、それぞれがよく人物に合っている、お互いに対して自然に、遠慮が感じられないのが、気持ちいい
安瀬さんはもっといける、もっともっと不甲斐なくできる、それとも、自前の(笑)微妙な感じがイラッとして尚いいのか、と思えたり(笑)
吉江さんに色気を感じたのは初めてかもしれない、エロの意味でなく
昔のセリフの言い回しに、違和感が無く、時代が漂った、しっとりしていていいなぁ、って思った
日本の戯曲、座布団に座っている演技の難しさ、さて、どう動くか、の更なる課題
自身のカラダ、演技
サイボーグになれるか、ガンダムのアムロになれるか、エヴァンゲリオンは、同体感らしい、演技するに近いらしい
俳優のカラダは、演出家の道具ではない
俳優自身が、自分で自分のカラダを操縦できるか、動かすのは自分しかいない
だから、どう動くかの、考え実現できる俳優が必要
パターンの限りの無い、考えやって見せられることの、技術
そうあってこそ、初めて演出家とコミュニケーション
演技がより深く、注意深く、開いていく
プロとか、上手いとか、感がいいとか
の前の
差し出す、使える、カラダと自身を、そこに持って立てるか、やれるか
だから、誰にでも開かれている
山下澄人が変えてくれるんじゃない
経験も、実力も、才能も、努力も、みんなよりある、だけ、だけ
その全部を使っている、だけ
その、だけ、を、どれだけの人が、そうできるか、そうしているのか
演出家が全てじゃない、それが、どの戯曲の瞬間にもあった
信子さん、+そういえばとても重要でした安瀬さん
ほとんど信子さんがメインなのだけれど、この安瀬さんがいい
本人の優しいものごしが、この語らない役を膨らませている
間を置いて、ゆっくり差し出すあの瞬間、見えない夫のあり方、夫婦のあり方、をその短い数秒で拾い取れる
信子さんも、添わないようで、添うようで、やっぱり添わない感じ、も(笑)
> 安瀬、そこは、ゆっくり、5、数えてから出して
先月言われたあの時から、好きな箇所のひとつ
あの時は、正面後ろで腰掛けて観ていたから、よく全体が見えて、よりそれのおもしろさがわかった
山下さんの言っていた、ブイ、とは、あれ…か? と突然思う
こんな風に山下さんはいう、形をいう、タイミングをいう、そこから生まれ見えることを要求しない
だから俳優がやれる、見ている側が率直に感じ取る、でも俳優は実感を伴わない、でも見ている人の様子で何かしらの手応えを感じる、何がどう漂ったかを知ろうと自らたずねる人を、今まで見たことが無い、ただ言われていることを聞いている、のはあるけれど
何をみなが感じたか、どう見えたか、そこの追究をしないまま結果良しとするのは、どうか
だから、稽古したその都度それについて話すことの重要、なのか
生々しいうちに
今日の信子さんは早いなぁ、って感じながら見てた
どんどん流れるように、なめらかに
それがどうなのか、よくわからなかった、ただ、早いなぁ、って
と思って観ていたら
山下さんが早い段階で止めた
なぜ止めたかの説明ではなく、その人物がどうあればもっと立つかの話
ここまで人物が本人に違和感なくあれば
繰り返す稽古、ではなく、お任せ、ではなく、どう演劇として、偶然でない細部にまでの演技として立てていかれるか、の更なるステップ研究課題
最終形へ向かう彫刻ではなく、増減可能な、変幻自在な、何なら一回出来たものを壁に打ち付けての粘土細工みたいな創作
行儀が良すぎる、もっと大げさに、もっとはじけるために
何が必要か、何にしばられているのか、それは心理的なものか、具体か
たとえば
嫌い、は、それを良く知る、ということか
好きよりも、嫌い、の方が、より具体を重箱の隅をつつくように言えたりする、ちっちゃな微妙な部分でさえも目が行く
平和主義者ではだめなのだ、いい子ちゃんではだめなのだ
実と成す創作の人は
あいつの、ココがきらいぃぃーーー、と、永遠としゃべれるぐらいがすばらしい
ま、言わなくても思うだけでもいいのだけど(笑)
それはやっぱり、他人にしたら、なぜかおもしろい
その人が好きだからマネしたくなる、上手い、とは聞くけれど、本当は嫌いだから、よりリアルで、おもしろくできる、も、あるのじゃないか
ちなみに、山下さんは酔っぱらわない、お酒が合わない体質だから飲まない
酔っ払いはきらい、という
だから、すっごいヤナ感じができる
人はいくら自分が普通と思おうとも、どのように過ごし生きてきたか、それが、どう自分の、考え、態度、の形成を育んでいったのか
そのルーツを知ること、自分で自身にかけてしまう規制の自覚
山下さんは、しつけの厳しかった父親に育てられた、お箸を上手に扱えたりする行儀のいい自分がどうにもいやで、こんなオレに育てやがって、ぐらいのジレンマをかかえているらしいけれど、だけど、だからこそ、の超える爆発力を持っている、とも言える、と
突破するには、一般的に、マイナス要素と言われるようなことが、重要な鍵となる
単純にいえば
開ききっていない、と思えば、そこで、演劇とは関係なく、その場で、一番恥ずかしいことをしてしまえばいい、もひとつ
けれど最初から、何でも出来ます、の人は、何かをクリアーしたいと思う時、ジャンプできる足がかりの、マイナス要素だと自分が思い込んでいるものが無いために、突破するのが難しい、ゆえに、時間がかかる
つまり、できない人、不器用な人ほど、向いている、爆発力を持っている、ということ
いつだったか山下さんが言っていた
着ぐるみを着てやる何かのイベントで、稽古の時、顔だけでもかぶらせて欲しいと言って稽古をやった、でないと、はずかしくて出来なかった、と
何かしらが、演じる自分を飛ばすために必要だと思うのならば、それはするべき、
いくつか対策を考えてみる
山下さんが言う
自分の見てきた経験で言えば、酔っ払って弾けられる人は、タガがはずしやすい、おもいっきり飛べる要素を思っている
吉江さん、ハタノさん
ハタノユリエの戯曲
女子が出てくる戯曲の選定が難しいこともあり、この戯曲は、色々な女子二人の組み合わせで聴いている
イスに座って本読み
感情を入れずに、感覚に触れてきたら、そこへ乗る
という具合で
上手いかヘタかは別にして
この人が書いた、知ってる、人物のどんな状態から発したセリフかを知ってる、そう感じた
ゆえに、もう一人は、というか、他に読んだことのある人は、やっぱり文章を読んでいる、から飛び出ない
感情を入れる入れないに関わらず
場面によっては、そうと感じない部分もあるのだけど
戯曲は聴こえていても、見えてこない
活字に人物の戸惑いや状態、間、が盛り込まれているから、それをセリフとして、読点だけの区切りで読み起すと、とてもギクシャクした違和感を感じる、棒読みは、よりヘタに聞こえる、棒読みに上手いヘタもないはずなのに
いや、だから、上手いヘタが問題じゃなくて、これは暗記してカラダに入れて、吐き出すが、難しそうだけれど、でもその方が動きそう、おもしろそう
山下さんは
> 作者はここにいるけれど、意図関係なくやる
そうハタノユリエに宣言した
ハタノユリエは、臨むところ、とでも言うように、うなずく
他の戯曲と同じく、活字からの、その戯曲が発するものだけに凝らし、演出の目線で開いていく
見えてこなかった戯曲が、開かれていく実感
そのうち、作者にさえ実感するともなく、埋まっていた何かまで開かれそうな予感の数々
しびれるぜ、山下澄人
惚れるのはこういう瞬間なんだ、ろうなー、とこれも見学
山田さん、安瀬さん
何度も見ているけれど、演出的に、会話を聞き取れていないので(笑)、未だに物語がよくわからないのだけど、いや、そんなことは、有名な作品だろうがなんだろうが、どうでもよくて、おもしろい、見ているだけで、目撃するものが、でも、それは、その戯曲の世界があってこそだから、やっぱり戯曲の何かがおもしろい、ということ、か
熱くない山田さんは、そうあればあるほど、おかしい、なぜか
とにかく、何度も何度も、目がまわるほどにトライしている
小さな動き、時々聴こえてくる交わっていないセリフ、間
遊びつかれたぁぁー!!!
忘れたくなくて、てくてくひとりで帰った
2012-4-8 Lab18/∞ EIKO KIYOTA
> 私なりに、こんなにやってますぅー、がんばってますぅー、なんて見せんなや、だっせーよっ
そんなん、やってませぇーん、って顔で来んだよっ
しばし、演劇人の場に見る、ツイッターに見る、だっせー(ダサい)の話
上の者に粗相があってはならない、礼儀正しさ、準備万端、キビキビした返事、…、……
真剣、であることの、そこにじゃない、の数々
> そういうのがイヤだから、演劇やってんじゃないのかよっ
> それ昨日とおんなじじゃん
安瀬窮地
また全てがNOへもどる、早かったなぁ
一度言われたこと、考えたこと、それらをやってこそだけれど、ただなぞるだけは、創作の腐敗
> なるべく頭で考えないように、カラダでやろうと…
> …お前はさー、考えたほうがいいよ、考えろよ…
(笑)
その人その人に、向かい方はある
他人のやり方は、参考になっても、では、自分にはどうか、と一呼吸入れて吟味が必要
でなければ、話してくれた人にあまりにもだ
昨日は、山下さんが手を加えて、そこから広げた
それをできたとしない、安心としない、それでいいとしない
いいとなったら転がらないから、広がりようがないから
山田さんは何度も何度も、つかむために、固めなかったし、固めていないし、ウケてもそこへ頼らないように、動線もあえて決めず、違う風に違う風に動いて、新しい何かを期待含めてやっている
山下さんが、引きずられている山田さんの様子を察知する
> 山田、お前、オレがイラッとした声で話し始めると、ヘナってなるから、耳塞いどけ
> …あぁぁ(笑)
(笑)(笑)(笑)
演じることのモチベーションは、容易ではない
自分のことは自分で守らなければ (笑)
女子二人による初見の本読み
久しぶりに、江崎さん
あー江崎さんだ、うん、江崎さんだ、(笑)江崎さんだー
って見てた
彼女の見た目のかわいい人懐っこさと、どこか心不在のしれっとしている声の混在がおもしろいのだけど、戯曲を読んでいる声を聞いていて、以前、二人で向き合ってお互いのことをいう、11月の、その時にやっていた彼女を思い出した
必死に何かこらえようとしていて、でも頭ではわかっていて、とても窮屈そうで、だけど楽しそう
パンパンに張った風船を針で刺したい衝動にかられる(笑)
でも彼女は自分をわかっている、どうしたら自分の思うことへ飛べるのか
その自覚を持っている、だから飛べる、いつか
お酒飲んだ時みたいに、弾けたらいいのに(笑)
というか、飲んでやってみたらどうですか、なーーんて
今回私ははじめましてだったのだけれど
何度か参加しているという小川さん
入室してきた時、しゅっとしていて、きりっとしていて(メガネの具合か)、戯曲を読み始めたら、へにゃへにゃで、びっくりした
終えて、そのまま戯曲についてや、質問で、話しているのを聞いていると、ますますふにゃふにゃの人で、でもどっか芯が太そうで、ずっと見てた
おもしろかったなぁ
またたのしみ
戯曲をやるにあたって、これまで、常に頭からやっていて、それでも、いくらか進んでみると、たぶん、山下さんの中で、あきてくるのだろう、だれよりもオレはあきるのが早い、と聞いたことがあるし、あきるとそこにしっかり向かっていかれないからか、本人が新鮮に向かえなくなることの回避か、負担の具合か、よくわからないけれど、前回の途中から今回はやってみた
止まることなく、新しい部分に突入すると、見る側の意識も、演じる側の意識も、変わるのがわかる
初めての緊張、未知、興味、それは何よりも、直感を刺激する
何回も繰り返すことで、その人の中で、カタチができてくる
それは、繰り返すことで、柔軟に扱えるというよりは、こなせる、に近くなるように思えるし、見る側もどこか流してしまう、けれど、初めから、途中から、の、どちらがやりやすいかと問われれば、ある人は、途中からでは、全くわからない、最初からやっての積み重ねが、その時々の状態を創るから、つまり、決めうちしての演技とは違うから、はいここから、にはならないらしい
もう少し続けてみたら、また意見は変化してくるかもしれないけれど、向かおうとしている人の意見は、優先される
それだけのものを必要としているから
そのまま、山下さん、信子さん、山田さん、の3人の会話を聞いていて、演じる人に起こっていること、そこから派生すること、それらは、それほど遠い感触ではない、わかるような気がするけれど、それらは、私が実感している事柄ではないから、雲の上のような話で、あ、やっぱり実感無しには、すとんと入ってこないなぁ、と
ここで、わかった気になってしまうのは、ちがうから
そうとしない、保留
保留が増えてきたなぁ
この場でなくても、以前からの保留は、たくさんあって、あぁ聞きたいことあるけど、まぁいいか
それはいつか何かで実感に繋がるのか、もっとわからなくなるのか、全然わからないのだけど
なんだかたのしい、とだけの実感のいま
2012-4-7 Lab17/∞ EIKO KIYOTA
安瀬、信子、ハタノ、山下、山田、…見学は私ひとり
公演活動をしている人、仕事、病欠、色々、ゆえに、こんなタイミングも起こる
にしても、いま何をやっているかを知る人ならば、本日の濃厚度に震え笑う
> 今日はこの人数だから、安瀬、今日はお前じっくりやるからな
ともすると、和みそうな、まったりした空間が直る
さて、安瀬は生きて帰れるでしょう、か
たくさんいるから、少ないから
出来ること、できないこと
話すべきこと、話せること
参加者のメンタル面ではなくて
立ち上がらない人物を、どう当人がそれとできるのか
見る側の感覚をどう触発して誘発して、一緒に考えられるのか
とどまることは、水でさえも腐る
なんでもいい、小さなことでもいい、ふとやってみたこと、自身が意図しないものでもいい
山下澄人は見逃さない
それだけの集中を、いつもキラッキラした大きなするどい目で、耳で、コトバにできない感覚で
たとえば、やってみて、それが却下されることも正しい
自分を否定されているのではない、そこは強く持つ
ま、実際、色々は言われるだろうけれど(笑)
却下されたものは、捨てて、次へ向かう
やろうとしているその行為自体を、山下澄人は、バカにしたりしない
常にこれほどの人を私は知らないのだけれど
創作するその時間に、山下澄人が、その立つ本人を、気にいっている、嫌い、とかの心情的なもので判断していると感じたことはない
付き合いの長い者に対しては、察知できる経験値がある、というだけのことで、仲良しとはまたちがう
創る、に立てるか、どうやるか、それしか場で感じたことが無い
もっと言えば、そこだけにしか山下澄人はいない
言いきっていいのかと思うけれど、そう思うから書く
創るにおいての感情だけを大雑把に言えば、おもしろい以外は欠落している、そうあろうとしている部分があるのかどうかはわからないけれど
だから、優しくして欲しいとか、気にいられているとか、心情的なものを持ち込んで立っている人がいたとしたら、それは、絶対に人物が立ちあがらないし、それはカラダに、演技に、甘えが出るから、長年創作をやってきた山下澄人から見て、その人が、創るに立っていない、向かっていない、と見えれば、全てがNOへひっくり返る
私がよく知るのではなくて、共に場にいればそう思える
仲良くしたい、話したい、だけならば、この場は適当ではない
この場以前の活動にも言えるけれど、特にLabは
だから、純粋に、単純に、創ることを本気で存分に自身で遊んでみたい人、そこに喜びを感じる人、が、この場に再び来たいと思うのじゃないのか
面倒くさい利害や人間関係、上下関係、私的利用、思惑、が、創るもの、運営に、浸食している場に嫌気がさしているからじゃないのか
私はそうだけど、そうじゃないの、かな?
全ての人が同列で、創るだけに向かう場
たとえ本人がジレンマや抜け出せないパニックを広げようとも、自ら向かおうとしているさまが、やってみようとする実(じつ)がそこにあるならば、それはやっぱり創作であり、研究であり、おもしろい、としかならない
疲れるけれど、おもしろい
おもしろいに繋がる疲れる、は、負のことを指さない
進まない、場で、何度も何度も、その度にゼロに戻って、掴もうとする、練り強い実は、感動さえする
必死だ、必死で、真剣に、戯曲を転がそうと引っ張り込もうと遊ぶ
だから、おもしろさが常に転がっている、見ている側が笑ってしまう
がんばれぇ、と思う
かわいそう、気の毒、とは思わない
見ている側からのそういった負の感情が、立とうとしている人に注がれることは
たぶん、ない
笑顔でなくても、たのしそうだぁ、と思う
負の感情を注ぐということは、思う以上に、自身の内に、カラダに、ダメージが生じる、自分の内側に生まれる負の感情、感覚の処理は、容易にはいかない
たとえば、怒る人、も色々あるけれど、自身を思うに、怒るエネルギーってものすごくて、外へ発散してすっきりしているように思えたりするけれど、同じぐらいに、内側に重いものは残る、すっきりなどしない、落ち込みすらする、後悔とかじゃなくて
打てば響く、で無しに、伝わらなさが明らかな場合、ストレスにしかならない、それは、喜びとは真逆にある
伝わらなさとは、解釈ではなくて、実と成せるか
さて、それが、創作人にとって、バネに転じられるおもしろさなら、それもよし、とは思えるけれど、そこにエネルギーを持っていくことは、大事、なのだろうか、と思ったり、思ったり、思ったり
山下さんは以前、これはオレが試されていることなのか、と言ったけれど、それも含めて、どうなるか、先々のお楽しみとして
立つ本人の内なる葛藤がどうかは、伝わりようがないくらいに、カラダの外へ飛び出てこない時、考えているポーズをしていても、それは、ちっともおもしろくない、マイナスの意味で疲れる
あぁ、こんな時、ええかっこしいの無い、ぷらんぷらんな人を尊敬する(笑)
信子さんと山田さんは、だって私たちバカだもんねー、と言う
その人たちのやるもののすごさといったら…
いきなり高いところから行こうとせず、たっぷりの時間と思って、なんども試行錯誤してきた冒頭から、そろりと本日が始まった
裏切らない停滞
そして、どうにか動かそうと、山下さんからの話
伝えようとする、数々の話
デジャ・ヴュ かと思う
セリフをあんなに覚えられる俳優が、何ゆえに、山下澄人のコトバや伝えようとする根っこを、ふむふむと、まっさらに聞くのか
再認識とはどうもちがう
暗記と思考は、別物か、別でいいのか、というか、この場にいて、別物でいい意味がわからない
それこそ興味深いことだから集っているのじゃなくて…?
入口の壁はガラスになっていて、なにげに見上げると、雪が舞い降り始めてきて、あぁ、と思って眺めていたら、どんどん塊が大きくふんわりしたものが舞い跳んできて、ずーっと見ていてもどんどんどんどん飛んでくるから目が離せなくって、気持ちよくって、カラダがほぐれたように軽くなってきて
しばし飛んでた
この場に、というか、芸術においての、ベースの話、細胞の話
気持ちじゃなくて、その人の思いとかじゃなくて、思うよりカラダが知っている、そう向いてしまう、喜び、たのしさの、そういったものでつくられている人
もちろん嫌いも、ありありと
と書くけれど
山下さんは、やる気とはちがう、細胞っていうか、ん"ー、と唸ってコトバにしなかったけれど、さてどうか
そのように向かう人は、1割にも満たない、ほとんどがそうじゃない、と山下さんは言った、この場の限定ではなくて
ただ、9割以上(正確には95%と)である人と、実際に交わることは常で、山下さんは、そういう9割以上の側の人たちの、そういった部分を理解できない、という
それは、自分と違うから、自分に無い部分だから、理解できる回路や、想像すら持ち合わせていない、ということ
あれだけの作品を創る人なのに
あぁ、そこが作品に無いから、おもしろい、ってこと、か
あえてのコトバが、一人歩きして、そのものの意味が、自身の思うものと他人がそれとするものと、合致しているとは思えないこと、残念さ
コトバは自分が開発したものじゃないのだから、だれが使ってもいいのだけど、なぜそれなのか、の吟味も、思考も、実の部分になってみて、もしくは連なる発言の果てに、合致していないとわかることの
演技、とは、何を指すのか
研究、とは、どういった部分をなのか
どんなことをやっているのかの具体も、なんだか他者への説明は難しい
延々と、始まりの数分をやっています
前は数秒でしたから、それはそれは進んでいますけれど
ふり出しにいつも戻って、延々と、イメージはありつつ、いかにそれとするかの試行錯誤、その時の流れ、タイミング、逆らわないでコントロールしていく技術
あぁ、技術
見ているだれもが、全く同じに思うことは常ではない
笑う場所だって違うし、おもしろいの興味もそれぞれだったりする
だけど、やっぱり理屈抜きで、おもしろい、笑ってしまう、見てしまう、そういうものはあって
だから、あえて言うなら、それなのか、それもなのか
私が知りたいことだから、のちに考え結ぶために、合っている合っていないにかかわらず、あえてコトバに残すのだけど
理屈抜き、は、練りに練った、よりも、直感が大事で、それは、やっぱり、山下澄人の超人的なそれが大きくて、これまでの山下創作の諸々は、たぶんそこから立てたもので、だけど、そうじゃなくて、山下、じゃなくて、演劇、というものが、人がすることが、おもしろい、とだれもが思ってしまう、単純な部分
だから、その直感を、演じる者の偶然ではなく、アドリブでも、その時のサービスでもなく、きちんとした演技としての構築から、理屈抜き、を見せる
人が考えつくったものは、どうしたって、ここ観客の皆さんに笑っていただく所です、が、ご丁寧にクローズアップされていて、観客に強いる
笑いも計算されてのそれ、ゆえに、ウケない時、発している側は、本日の作品そのものの出来不出来にさえ揺れるのだろうか
最初はその新鮮さがおもしろい
批評している人は、そのおさまりの良さに、無駄の無さに、いつもながら安心して楽しめる巧みな演出、と書く人もいるかもしれない
何度か演出家の作品を見れば、自然と感じてくる、その仕組まれた状態や伏線の辻褄の良さに、そのうちおもしろくなくなっていくものもある
無駄のない、全ての辻褄が何かしらに合うであろうことの推測は、興味を欠いていく、どんなにアイディアを出していこうとも
内輪ウケみたいに、知らないとおもしろく思えないものは、話にならない
だけど、それがいい、って言う人もいるのは確かで、見る人の趣味を否定はしない、それぞれの好みだから
でも、それは、観る側も、発する側も、数年ののちに、いずれあきてくる
おさまりの良さを、物足りなく感じてくる、別の刺激に飢えてくるのだ
これは私の実感から書いているのだけれど
たとえば
私自身でいうならば、山下創作なら、そこに出演する人々のおもしろさを見てきて、より知るから、なんでも、おもしろかったー、と言ってはいないか、自分を疑るのだけど、だけど、本当におもしろいからなぁ
たとえば、創作者を明かさない、ばら撒かれた作品たちの中から、山下澄人の作品を見出せたら、それは、私にとって、いや、自身の感覚に対して、実感をより味わえるのだけれど
ま、味わえたところで、自己満足なのだけれど、自分がウソに立っていない確認はしたいかも、確認好きなので(笑)
クセとか、傾向とか、そういう部分じゃなくて、何をどこをどんな風に、おもしろいと思うか
盲目になったら、つまらない
というか、なれたためしがないので、盲目になれる人は、その状態では話などできないから、面倒くさくてバカに思えるのだけど、だけど、どっか羨ましいもあって、だけど、やっぱり盲目になれない冷静な自分は必ずあって
だけど、山下澄人に出会えて、そこに立ってきた人たちに出会えて、暮らし方も過ごし方も変わったのは事実で、庇護すべき人もいないから、極力、カセ、をはずして、身軽に真剣に向かいたい
日常からの逃避場に落としたくない、この場を
で、安瀬さん
おもしろかったなぁ、初めて演技してるとこ観て笑った
今まで、観ちゃいけない気がして、観てなかった(笑)
山田さんと安瀬さんの戯曲と信子さんの戯曲の2作品
じっくりと
疲労感たっぷり、いろいろと
2012-3-11 Lab16/∞ EIKO KIYOTA
の前に観劇
岸田國士戯曲『命を弄ぶ男ふたり』シアターZOO
演出:納谷真大
出演:納谷真大、江田由紀浩
Labで、小林さんと竹内さんで、11月に観た作品
もう本当に、数秒だけのものだったけど、すっごくそれがおもしろかった
山下さんが触れていないものが見たかった
Lab につかっていると、マヒしてくるから
観たことがない人だったら、たぶん観たいと思わなかった
納谷さんが戯曲にどう向かうのか、とっても興味があって、発売初日にチケットを東京で買った、だれにも言っていなかった
3月はまだ寒いだろうから、荷物も軽くなる春になったらLab に行こうかと迷っていたけれど、日程も合うし、と思って決めた渡航だった
間際になって、山下さんが稽古に参加してるとわかって、複雑にザンネンだった…(笑)
そこはもう頭を切りかえて、観る
けど、どの部分を触ったのだろ
Labではあえて、どの戯曲も読んでいない
作者が日本人かどうかも知らない
だから、この作品の作者とタイトルを知っても、あらすじもあえて見ていなかったから、Labのどれかわからずにチケットを買った
それからしばらくして、何かをたまたま読んで、あの作品か、とわかった
知らない、それが私の唯一のセンサー
これを保持するのは意外と大変、宣伝文もなるべく目を通さない
だから、どの程度台本が変更されているのか認識も無く観た
包帯の男が、包帯を長〜く2本なびかせて、やってきた、そして、腹式の大音量でセリフを言うから、ものすごく押さえつけられたようで、びっくりして、え、そんな姿なのに、とっても元気じゃん、健康なんだこの人、って思って、ファッション?って思った(笑)
だけど、顔に火傷をしているらしいので、ってことは、やっぱり普通にはしゃべれないよね、でも、ものすごく渋く太く滑舌いい、だけど、それが、たなびく包帯によって、正義のヒーローみたいに思えて、マッチして、ちょっとカッコよくて、まぁそんな皮膚の状態のことはどうでもいいか、と思えたり、いや、あの口の中のカラカラは、実は口周りのリハビリの一種で、あの甲斐あって、あの滑舌、と思えなくも無くて、あれほどののんきなカラカラを出すには、結構月日はあって、なのに、自殺…んーー、狂言?(笑)
勝手な辻褄合わせがぐるぐるする
話が耳に全然入ってこない(笑)
メガネの男は、ある時、メガネを拭くことをしなかった、必要ない、と思ったからで、なんか、それもよかったな
煤の時に、包帯の男が、左右を相手の身になって迷うのは、なんか、とってもいいヤツに思えたし、かわいくて、笑えたし
包帯の男が、自分の足のサイズに、一歩一歩と、話しながら、どこかへふらふらと歩いて行くのもおもしろかった
意味の無いことって人はする、たとえば、電話してる時に、ぐるぐる何かメモに書いてみたり、ずっと同じトコ書いてたり
それ自体には意味は無くても、そうしてしまう何かはある
一様の答えでは無くても
この中のどれだけが、戯曲だろうか、納谷演出だろうか
長い包帯は、本当に見ていてあきなくて、たまに後ろ向いてくれると嬉しくて(笑)
あれ、よかったよねー、と言ったら、オレがやった、と山下さんに言われた
あ、そうなんだ…
メガネの男が、足の指を怪我して、引き摺って歩いた
これまで、足が不自由な演技は、そこかしこで観たことがあるけれど、怪我したばかりなのか、どこを傷めているのか、痛くないけど動かないのか、色々あるけれど、足の不自由な友人を二人持つ私としては、痛めた足じゃない方が重要と見えているから、あんまりそれらしく観た記憶が無くて、一番そうそれ、って思った、
ら、実話込みのそれだった
あの感じ、江田さんの宝物だなー、忘れないといいなー
アフタートークに、山下さんが呼ばれて、出てきてはくれたものの、居心地悪そうだった
あんな風に、人前に出て、素でメインの位置でしゃべる山下さんを見るのは、初めてかもしれない
Lab では見ない具合
超シャイで、超つっけんどんで、たまにしゃべると怖くて、ちらっと笑うとかわいくて、落ち着かなくて
山下さんが少し長くしゃべると、会場がシーンとした
だれも物音たてることなく、ロビーの音が聞こえ来る感じまで
興味深いから、とはまたちがう、そうさせる声でしゃべってた
聞かせようとしてた、それとも、ただ普通にしゃべってたのかな
でも、その声に、みんな素直に反応してるなー、って思った
納谷さんに話がふられると、どっとわいた
二人の具合がいい
江田さんは、とても気がつくし、納谷さんは、純度高くて、あー、イレブン☆ナインか、言えてる、と思ったり
おもしろかったな、トーク
昔、演劇公演で、トークショーがついている日があると、あえてその日を選んで観劇してたことがあって、それは、大概、翻訳ものとか、難しそうな作品だったりするのだけど、だけど、一番おもしろくないのは、ゲストがあって、お互いを当たり障り無く褒めちぎるトーク
あれは興ざめする、なんか劇に不要な、後の付き合いにさし障りが出ないように気を遣った感じだったりして、つまらないことがある
いや、苦言すればいい、ってことじゃないけど
だから、山下さんが、きっちり思うがままを言ったのは、おもしろかったし、納谷さんが、しっかり受けとめようとしている感じも、ものすごく、ものすごく、真摯で、カッコよくて、ニンマリした
あー、愛される人って、こういう人かも
ちなみに、作品によっては、最後の出演者の挨拶すらも不要な、そのままの状態を持ち帰りたいこともあるから、アフタートークは、あれば必ずおもしろい、とは限らない
この戯曲は難しい、と思った
二人だけの巡る会話を、いかに、頑張ることなく見続けたいと思わせられるのか
自宅に帰って、初めて戯曲を読んだ
見た作品で固まらせたくなかったから
セリフがものすごく長くて大変そうだけど、わりと単純なつくりに思えた
観たものは、もっと、バタバタ巡っている印象があったから、これ、大変だろうけれど、Lab ですごくやりがいある、かも
戯曲このままに、ひたすらじっくりと、細部に渡って演技研究できたならば、ものすごくおもしろい見ものになる、気がする
メガネの男が、最初の部分の終わりで、舌をだす、舌?、?、なんで?、え、そんなことしてたっけ?、記憶に残ってないな、なんで?
のちに読み進んで、あ、と思えたけど
覚えておこ、この部分
で、レッドベリー
知り合いがいたとしても、知らない場に入れば、やっぱり立つ時は自分ひとりで立つしかなくて、初参加の人の勇気というか、くくられた腹に、敬服する
知北さん
緊張、場の空気に負けまいとつっぱる感じ、とても鋭利に張っているのが伝わって、こちらも苦しくなって、自分のカラダが硬くなっていくのを感じた
セリフの第一声が、華奢なカラダ以上に、これぞ演劇発声、で、それが苦手な私は、瞬間的にカラダに拒否反応が走って、すっごくつらくて、怖くて、この人このままいくのかな、って思ったら、やるうちに、どんどん山下さんが彼女を下げていって、下げて?が正しいかはわからないけど、少しずつ、その彼女の威力を落としていって、ある瞬間、彼女がものすごく変わって、柔らかくってかわいいー、って思えて、そこで初めて顔を上げて、彼女を観れた、それからの彼女は、別人だった
本人はどう実感したのだろう
また観られたらいいなー
小林さん来られない日でも、ぷらっと参加するといいなー
吉江さん
彼女は相手によって変わる
相手との交信を敏感にカラダに受けている感じがする
とても不安定に思えるけれど、それがすごく私は興味深くて、飛びぬけた時の彼女は、たぶん、一番すごい
小林さん
何がおもしろいのか、いいと思うのか、さっぱり答え出ずにいる今、やっぱりおもしろいなー、とまた観た
声が好きだなー、あの読めない表情も豊かに感じてなんか好きだなー
山下さんが、そこは、ぬけぬけと、と言って、それってどういうことを言うのかな、と思ったら、ぬけぬけと、やって見せてくれたから、この人のここがすごいなー、って思った
いや、やって見せるのが俳優、なんだろうし、すごい、なんて、そこで生きている人に対して、とっても失礼なんだろうけれど、ボキャブラリー無くて、他に言葉が出てこない
瞬間的なキャッチと実演は、創作をどんどん開かせる
あまりにも容易に見えてしまうから、本当にそれでいいのか、と、変な不安がよぎるけど、あの人の手は、いつも緊張している、そこにホッとする
山田さん、安瀬さん
互いに起こる影響の威力
いや一方通行なのだろうか
にしても、とにかく、何かが動くこと、の重要さ、を観た
だれかと立つことの
1ミリも動かない
動かされる
こんなこと、あるなー、日常でも
おもしろい、山田がキレ動かされる(笑)
おもしろい、は、やるものが意図した部分ではないこともある
というか、断然そう
だけど、そこすらも見つける時間
江崎さん、細川さん、久しぶりに観たかったなー
まだ他にいるのかなー
またいつか
2012-3-10 Labえーとえーと15だよね/∞ EIKO KIYOTA
私用も区切りがついての久々
雪道かと心配したけれど、札幌滞在中は晴天だったから、雪は寄せ積まれていても、ほとんど歩く所に雪は無くて、琴似は、微妙にある程度、いや、凍っている所は、所々あって、まだまだ慎重に歩いた
降れば、すぐ地面は真っ白になる、と札幌半在住山下さんはいう
もし、いる来年の私、3月初旬はまだそうですから
行くと、山下さんが外でタバコを吸っていて、ニヤニヤしてこちらを見ていた
笑顔で迎える、とはちがう、ニヤニヤ …(笑)
東京からの露木さんが今回、参加者になったと聞く
彼女の声の発せられる感じや、立つ感じが、とっても好きだったから、おーついに札幌でも観られる、と思ったらテンションがグーンと上がった
さて、だれが集っているのだろ
スタジオに入ると、人が漂わせる空気が違う、とまず思った
場に、人に、蓄積した時間
山下さんが入ってきても、ピッ、とした感じがしなかった
異質に感じなかった
これまでが異質か、といえば、それほど強く感じてはいなかったけれど、そうかも、ぐらいの、微妙だけど、でも、違う場
あえていうなら、以前は、入ってくる山下さんは、ぐっと何かをおろすように、場を向かわせていた、感じ、か
でも今回、その必要も無く
参加者がそれぞれに場に入っていく、みたいな
適当にそれぞれが、みたいな
それは山下さんも含めて
あまりはっきりとした感じは無いけれど
とても特別でない感じに、ホッとして、久々の私には心地よくて、余計に興奮…(笑)
だから、そこで異質だったのは、私こそだと思う(笑)
人も変動ありや、不在もあり、実体は、浮動&不動
ハタノさんによる体操の時間が始まると、とても静かに、自然と二人一組となって、ゆったりとほぐしに入った
初回の昨年11月の、それ、よりも、ゆっくり、ゆったり、次第に、人の在る空気も更に変化していく
室内の暖かい温度をじんわりカラダの奥まで感じていく
耳が捉えるのは、たまに発せられるハタノさんのポイントだけの促す静かな声と、あとは、暖房の音
そして、その深く静まった中の更にその奥に踏み入るように、外の静かな、でもかすかにどこかが動いている何かの遠くの音まで聞こえてくるほどに、それはそれは、場がゆっくりと何かが落ち広がる感じ
どこまで、耳が澄ませるか、と思ったり
少し耳の奥が変な感じ、私的にはどんどん不調
その空気にそのままあるのが段々つらくなってきて、自分を少しほぐさずにはいられなくなった
私が敏感とかじゃなくて、自分のカラダの非リラックス状態をクリアーに感じさせる空気に包まれていたから、が近いと思う
浄化できそう(笑)
結構ゆったり長く体操が行われて、それを見ながら、自分の中のイメージほぐしで、自身の不調をさがして遊ぶ
だれと組むかも重要かもしれない
ほぐされているイメージで考えてみる
ほぐされる人が、どれだけ力を抜いて開放していかれるかは、その繋がれた手の先の人に、どれだけ委ねられるか、投げ出せるか、のように感じられる
ほぐす人は、どれだけ自分のカラダの一部のように、相手を感じながら、丁寧に少しずつ少しずつ、丁寧に、カラダの内部のイメージを持ちながら気持ちよく揺らし促せられるか
たとえば、私は肩が凝るから、どんな感じにどこを揉まれたら気持ちがいいかわかる、だから、だれかを自分をほぐすように揉んであげると、気持ちがいい、といわれる、そんな感じ、か
ほぐれた証拠に、ぎゅるぎゅるとお腹がそこかしこで鳴り始める
笑うとせっかくのユルユルが締まるから、笑わない
仰向けに寝てほぐされている喘息気味の山田さん
その状態で、肺のまわりの筋肉がきっと緊張しているはずだからと、山下さんが四方から足で踏む、踏む、踏む、たぶんここから知らずに見た人は踏みつけてる、に見える踏む
ん、それも、ありか、いじめじゃない、いじめじゃない
当の喘息持ちの人がやることに、間違いはない
なされるがままの山田さんが…なんだかすばらしい
いよいよ戯曲
まず
この日観て私が思ったのは、11月とはもう違う、ってこと
だから、ここから先は、私のぐるぐる巡った面倒くさい記録
読む用の書き方は、不完全燃焼を起してカラダに悪いし、疲れるからもうしない
だらだら綴る
それぞれに、自分の向かうべき所へ必死に向かおうとしている
ある人は、自分を重ねての実感を頼りに
ある人は、テレを捨ててひたすら解放に
ある人は、戸惑い、それでも、向かい
ある人は、丁寧に少しずつ
作品は一つではないから、色々な方法で自分を向かわせながら
共通して山下さんが言うのは、いいかげんであれ、ということだった
とても難しい、いや、頭ではきっとイメージもなんとなくありで、わかるのだ
だけど、そうでありながら、演技するということは、いいかげんであって、いいかげんでないコントロールが必要ということで、それはいいかげんなのか、そうでないのか、その塩梅の説明は無い
塩梅が説明できる人は、きっといない
山下さんは、山田さんの演技に、オレにはもうどうすればいいか見えてるけど、と言ったけれど、だけど、言葉の説明変換はまた別で、でも、見えてる、は、たぶん、さっき瞬間的にでもその人がやれた、からで、だから、見えたものから、山下さんの中ではっきり広がった、ってことか?、とか、いろいろ考え見てたりしていた
59によるLab5の記録に書かれてあること、そのもの
いや、だけど、そのあとどんどん人物が変化していったから、さっきの見えたであろう感じは、あれのことじゃなかったのかな、って自身の実感として思ったけれど、ここにきて常々どこかで聞いてきた、答えは一つじゃない、がポコンと顔を出す
一つじゃない、一つじゃないけど、そうそれ、と、やって見せられることはそのカラダが成し見せるチャンスはいつでもたった一つしかなくて、複数を混ぜることはできても、同時に見せることなどできない
カラダは一つなのだから
でも、そうそれ、は、いつでも同じに出来るものではなくて、ちょっとのことで、それは、そうそれ、にはもうならなくて、ただそうやればいい、とも違って、やっぱり答えは一つじゃない
もうそれは、演じる人が、やれるかどうか、行けるかどうか、いや行ってしまいたい、行くんだ、みたいのは、とーーってもわかるし、その状態、なのだけど、いや、だから、演じる人のもどかしさも、隠すことなく広げられるから、そのまま感じるし、もう本当に、見ているだけでも、力が入って入って疲れた
でも、塩梅は、きっと見れば、それだよそれ、と言える
現に、さっきの…、みたいに見ている側は言うけれど、やる側は、え?、みたいに、ぼんやりとしか交わらない
さっきの、と言われて、やれたら、きっとそれは、その人に落ちている、と言えるのだろう
言えるだろうけれど、実践する塩梅は、なんだかその人のセンス、のように思えてしまうけれど、たぶん、この場は、それこそを研究し、自身に身につける、ということも含まれると思うから
改めて、Lab の果てしなさ、藁の無さ、に立つ参加者の、すごさ、厳しさ、を感じた
難しいね、本当に
できる時は、きっと突然やってくる、保証は無くても、やってくる、もうあるから、あるよ、や、見てないかもだけど、ある
だけど、おごることなく、同じ強さで、ゆるさで、進む
向かうことは、膨大にある
本当に、疲れる、なんでこんなに疲れるのに楽しいのか、おもしろいのか、(笑)
そして、それは、確かにこの日観ました、信子さん
おもしろい、は
吹き出したり、ゲラゲラ笑ったり、ふふってなったり
だけど
ぽか〜んとしたり、ただ見入ったり、一緒に真似して感じてみようとしたり
笑うことばかりが、観ている側のおもしろく感じている、興味津々の状態とは違う
それを、演じる人に、どう伝えたらいいのかわからないけれど、今とってもおもしろいと思ってます、と伝えたいけれど、そんな余裕すらもこちらには無いぐらいに、ただ演じる、それを観る、だけに、もうそれで充分に成り立つものもある
静かだからといって、楽しまれていない、と思うのは違う
存分に広げて散らして欲しい、観る側の楽しみは、拾い集め、思い思いに感じることも一つだと思うから
私はこれまでの活動でも、信子さんを観ると、あまり声に出して笑わないで、じっと見ていたような気がする
すっごく内側は、踊っていたり、うひゃうひゃなっていたり、じんわりきているのだけど、なんか、逃したくなくて、逐一をじっと見てしまう、気持ちがいいのだ
小さく小さく、どこを拾っても濃度は同じで、そして、彼女に流れるリアルというか、起こっているであろうことが、漂い伝わる
とても普通なのだ、とてもそうなのだ、もちろんそれはある意味大げさで、それは演技、なのだけど、あれを観た人なら、私が書きたいことはわかるのではないだろうか
実に彼女はチャーミングだ
少しずつセリフが増え覚えられていくようだから、次回、次回、と、とても楽しみが増えて、この話観るの楽しみにしてるから、その先教えないでー、って翌日頼んだ
山下さんも
何か言うこと、山田ある? なんも無いよなー、って
もちろん、ここに至るまで、色々模索はあったようで、具体は知らないけれど、それでも、彼女が言うには、山下さんから言われた諸々から至るこれで、それをいかにそれとして、自身にどう戯曲と共に入れて、実と成すか、は、やっぱり、彼女自身が出来てこそで、そう出来るのは演じる者だけで、Labで、また改めて今思うのは、演じる者、にかかっている、そこが動かなければ、だれも、山下さんの演出さえも、何も成さない
たとえば、WS 等 は、わけがわからずとも、ただ山下演出に従えば、成り立ったし、演出ということの重要さを実感したし、山下澄人のすごさを垣間見た
こんなにゆるくて、こんなに緻密なんだ、って思った
考えることができる俳優が、いま、ここでは必要とされている
考えることを喜びとする俳優が、不安になりながらも、惜しむことなく広げ実験できる場
やってよかったね、ホントに
人がこんな風に濃く生きられれば、もうそれ以上を望むことなど、不要と思える
向かうべきことは、まだまだある、盛り沢山すぎて、嬉しい悲鳴
2012-1-29 Lab10くらい/∞ 59
2011-12-3 Lab5/∞ 59
#敬称略。戯曲は文中に。
雪。雪。低気圧。体調不良にて不参加の連絡続出。
山下含め参加6名、見学2名の最少人数にて。
中には具合の悪そうなマスク参加も。
たとえ体調万全と認識してようと、この低気圧がどれだけ体に影響するか。
作るや書くにあたって、天候状態と体の関係について常日頃それによる左右を体感する山下は、具体的には自身の脳内の膨張を敏感に感じ取るらしい。外の状態による体の変化、による、内面の変化は、年をとる程に、直接的になっていくと言う。
「影響する、そうだ、と、知っておくことだ」と山下は言った。
やる気やモチベーション、テンションたるものは、簡単に「自分の気分」やのせいになるが、そうしないこと。なぜなら、そうではないこと。認識は当てにならない、体が知る。体は、外も含む。
現にこの日、緊張の雪道を来るから続く、重く、ぬるっとした空気のスタジオ内。
また、遅れ来る者。この雪をも断固無視でき、いつも通り一番に到着していたFICTION山田は、どうも例外のようだが。
全体その状態のまま、体をほぐすに入った。
この回、床にてゆっくりと。
脱力、ねじる、足裏、足の重みだけで寝返る。
皆、仰向けの脱力状態にて山下、
「頭の先から、自分の体を輪切りにしていくイメージを持つ。輪切りにして、少しずつそのイメージを下に下げていく」
沈黙、スースー息、体の重みを感じる、寝そう。
「寝る状態には持っていかない」
なるべくは全部、自分のペースで。
それぞれの体を、それぞれが認識しながら。
いわゆるの必要とされる柔軟体操にて、形式的に形に沿う、にはしない。
どの場合にも同様で、それぞれの行為、思考やが、なんらかの方法で、それぞれの体に落ちるか(当たるか、ひらめくか、ピンとくるか。自身の狭い理解の範疇内に収める「納得」とは少し違う)が、重要。
●男2名、戯曲は、ハロルド・ピンターの「管理人」
参加者AとBが前へ。
参加者中、FICTION山田、竹内(B)は、山下演出の元に長く様々をやってきた俳優であり、それぞれ演技の得意とする領域や、公演を本番、最終形、結果とする場合においての、それぞれの演技の用い方(戦い方、勝ち方)を、たくさん体得してきた上で、互いにそれらをよく知る。彼らは、ではその体得してきた勝ち方以外の範囲にいけるのか、それはどうやってか、とを、ここでは自身に課しているようだ。
公演などの、あるゴールを持たない場でこそ研究、実験し得ることの1つ。
たとえるなら、喧嘩のプロが、本格的に格闘技をはじめるような、と、ある時山下は言った。
参加者それぞれに、経験の差や、所属、課すもの、中身の差はある中で、どの立場においても、ここでは演技に向かって「ある問題を持っていること」には、同じだ。また、それぞれのそれは、経た「体感」の中でのみわかり得る。
として、前に出たAとBが、はじめかねる中、話が続く。
山下がAに聞いた。
「今、話していることが、わかった?」
Aは答える。
「はい、わかりました」
山下、
「わかるの」
A、
「はい、だいたいは、わかりました。こうこうこうで、こういうことですよね」
Aの答えは、そこで話されたことを、とても簡潔に、間違いなく、正確に、まとめたものだった。
山下は、この「わかる」について、この「簡潔」と「正確」について、あらゆる場面で重ねて指摘している。ここでも、Aとのやり取りをきっかけに、現代すべての兆候に向かっても指摘する。
正確に、理で詰めて、誰でもどの立場のことも簡単に「わかる」ようになってしまった。実感、実態を外して。頭だけで。果たしてそれは本当に「わかる」と言えるのか。または、それを本当に「わかる」としていいのだろうか。
様々な事情や、責任や、決意や、愛や、で、福島から出ることができない人々を、外側の人々が「わかる」と言っていい今だろうか。話は至る。
もっともっと「わからない」のだ。本当の実感を共にした「わかる」「わからない」に立たずして、抜けられないことがある。例えばここでは、できるまで「わかる」と言えないのだ。逆には、できた時、それは言葉なくしても「わかった」のだ。山下は続けた。
Aと同じ意味で、これを書いている私も、読んでいる人も、書いていることをは、体得し得ない。
どこかに答えは求めない。ないから。
Labはスタート時より、喫煙所や、帰り際、あらゆる場で、山下自身も含めた人々の「わからない」「わからないよな」の声にまみれているが、まず、どこにも頼らずに、甘えずに、そこに立つことの、そのことが俳優として、大きく創作者としてどう重要であるか、知る事の必要と、とてもとても困難を知る。
AとB、少しも始めずにチェンジ。
●男女2名、戯曲は、岸田國士「紙風船」
参加者CとDが前へ。
Cは、前までの回で、この戯曲を丸暗記するように言われていた。プロンプ(芝居やテレビなどで台詞を忘れた俳優に陰からそっと台詞を教えること。また、その台詞のこと)を入れ、代役Dと「棒読み」「機械的に」として、はじめる。
止められてCが言うに「丸暗記」ができないと実感したとのこと。
ここで言う「丸暗記」は、テキストの中身や、情況、感情、雰囲気、すべての内面を排除した、ただの「音」として、機械的に正確に暗記すること。
独自の解釈による内面要素を伴った状態で一度暗記すると、あとからそれを排除、変更することが、とても難しい。その指摘を受けての、Cの発言であった。
マクドナルドの店員に求められる機械的発声と、葬儀屋の司会に求められる雰囲気や空気を伴うことを重要視した内面付発声が、話の例に出る。
山下はこのことについて、
『自分という装置を内面のない機械として扱えない。個性を重視して教育されてきた結果、内面こそが「わたし」となり、本来はそれこそが「わたし」であるところの「からだ」の使い方がわからなくなってしまった。』
と、ツイッターに書いた。
●戯曲、ハロルド・ピンターの「管理人」に戻る。
参加者AとEが前へ。
ト書きから、演技をせずに、忠実に動いてみる。
“ー(略)ードアが開く。アストンとデイヴィス登場。最初にアストン。次いでデイヴィス、足を引きずり、はげしく息をしている。ー(略)ーアストンは鍵をポケットにしまい、ドアを閉める。デイヴィスは部屋を見まわす)
アストン:坐れよ。
デイヴィス:や、どうも。(見まわして)ええと……”
「演技をせずに」と、山下は繰り返す。
1つ1つの動作、場の状態を、ただ、確認しながらと。
AとE、前に出る。Aを主体に動くことを決め、AとEは時間をかけて、まず登場場所を確認し合って位置についた。
スタート。A(アストン役)がドアを開けた。
山下が止める。「演技をしないで。それは演技だ。」
Aの様子からは、それを納得したかどうかわからない。
Aは再びスタート。Aがドアを開けた。できるだけ何もせずに、Aはドアノブをひねって、ドアを開ける動作をし、1歩中に進んだ。
山下が止める。「だからそれが演技。」
山下は立ち上がって、Aがそうしたようにドアを開け「これが演技」と言った。
「たとえば」山下は歩く。「下が床だとしたら、歩き方はこうなる。」
革靴をはいている、靴の音がする、そのような歩き方、ゆったりベッドに腰かけ、部屋を見まわすと、何も無いそこは、ぶわっと広がって外国の部屋になった。
たとえばドアノブの形、ドアの大きさ、どう開くドアか。ドアの外は、外か、部屋か。状況、状態をいちいち確認する、イメージする。すると、具体的に体の形も変わる。
Aは長らく停止した。
あたりを見回したり、うろうろしたり、椅子を出して置いたりを繰り返す。
長く続いたのち、山下が尋ねる。「それは何をしているのか。」
Aは、部屋全体の詳細の設定をイメージするのに時間をかけていたらしい。
ベッドの形、大きさ、カバーの色、壁の色、質、と続け、それはあまりにも膨大で、予め頭に取り込むのは難しい、とAは言った。
「それは広げすぎ、そんなことは無理だ。」と山下。
自分の動く足元だけを見て、目の前だけを詳細に見て、動きながら少しずつ広げていくことだ。頭で考えるでなく、動きながら、体で、目でいちいちを見ていくを伝えようとする。
Aが再びスタート。Aがドアを開けた。
山下が止める。「なんでそんなことをするのか。」
ドアを開ける動作のことを指し。何度か繰り返して来たそれが、いかに「ドアを開ける」ということを、他に知らせる「記号」でしかないかを、説明。「自分」がドアを開けるのであって、「他人」にドアを開けていると知らせるではない。そんな動作はする必要がない。
Aが再びスタート。
Aは今までのドアを開ける動作をせずに部屋に入り、進んで台詞を言った。
山下が止める。「なんでト書きを無視するのか。」
ドアを開け、鍵をポケットに入れて、ドアを閉める、作家の意図するト書きを無視してアレンジをするな。少なくとも、そこが手を抜かれていない戯曲を厳選している。
続く、NO。
続く、NO。
やって、NO!やらないで、NO!
沿って、NO!沿わないで、NO!
不毛に聞こえるが、そうではないと伝わらない核が、ここにある。
それを言葉で伝えようとすることの困難と、それを言葉で捕らえようとすることの困難。困難以前に、言葉では到底無理な、恐らく「場」を共にしてしか、古くから紡いでこれなかったであろうことたち。
休憩中、FICTION山田が、この感じこの感じ、とニヤリし、FICTION竹内が、別の言葉で伝えようとしていた。
ここに正解はない。誰も持っていない。たとえば言葉にすると簡単な「自主性」。
これをとらえるに、果てしないものすごい行程があること。と。
これにて、また明日。
外に出ると、車の上には15センチほどものベタ雪が積もっていた。
2011-11-12 Lab4/∞ EIKO KIYOTA
#戯曲:ハロルド・ピンター「管理人」/岸田國士「死を弄ぶ男たち」「紙風船」/サミュエル・ベケット「行ったり来たり」「勝負の終わり」/別役実「壊れた風景」
遅刻入室
山下さんがみんなに向いてお話中、音を立てずに入ろうと思ったけど、参加者が私に気付いたらしく、その参加者の変化に、何?と思って振り向いた山下さんに、結局がっつり見られる…
あ、山下さんが演出するのと一緒だ
なんの話だったかな
お前の気持ちなんてどうでもいい、やれ!、やれ!、と昔は怒鳴り追い立てて、イスも投げて、追い込まれた本人が、やっと本気になって、必死に作品に向かった
それが、みなが本気になれる一番簡単な手段だったから
(へー、ただの乱暴者じゃなかったのね…(笑))
けど、Labの場で向かうのは、外からの強制ではなく、それが無くても、自発できる自分のスイッチの研究
みたいな
Lab の初日が始まる数日前、六本木で、佐久間麻由さんの公演に行く前に、近くでカフェの店長をやっているFICTIONの大山さんのお店に行った、その時、昔の澄人さんの稽古は、今の10倍ぐらい怒鳴ってて怖かった、と話してくれた、…10倍って
盛り過ぎではないようだ、思い出すのも恐怖、って感じだった
あー、見たかったな、その稽古
ハタノさんによる、まったりな体操時間
山下さんももちろんやる
首から少しずつ、カラダをのばしてほぐしていく
同じ姿勢をしているはずなのに、こうもちがう、それぞれのカタチ
山下さんがやりながら言う
オレの経験で言えば、カラダの硬い順番に、演技がヘタ
みんな必死にやる…(笑)
山田さんによるおもしろレッスン(至って真面目)も加えながら、くつろぎの楽しい時間
カラダが温まって、暑い、暑い、と声が聞こえる
数名が前に出て、輪に座る
あーー、と声を出しながら、顔や首に手をあてて、一番自分の声が共鳴している部分を見つける、それぞれが、さまざまな音程や声質で
見つけた部分を触ったまま意識して、更に、あーー、と続ける
男女個々にバラバラに発していた声が、濁った雑音が、次第に、寄り集まってきて、ものすごく複雑でありながら美しい調和を奏でた、そうやれ、とも何とも言われていないのに
鳥肌が少し立つような、神々しい、パイプオルガンの響きのような声、いや、輝く音色、なにこれ
演技は、これに通じるという
自然と意識し合う、それぞれのその瞬間
戯曲に取り掛かる
動きはやめて、イスに座って、セリフだけの本読み
感情は入れないで、棒読みで
その、棒読み、が、できない人、が出てくる
どうしても、セリフに抑揚や感情が入ってしまう
棒読みをさせるために、ゆっくり読んでみる
なにゆえに、山下さんはそうさせたか
イメージも無く、感情を入れたり、動きをつけてしまうと、ちがうイメージができなくなってしまう、違和感を感じてしまう、それほど人は自分のしたことにしばられる、それは、見ている人もそうで、山下さんさえも、丁寧に立ち上げるまで、自らやらない、という
読むとどうしても感情が入りやすい
とにかく、セリフを機械的に丸暗記してくる、みな、それが宿題
新百合ヶ丘のmtu/watu の時、そうだ、あの時も、本読みをやった、あの時は、参加者の台本披露だったから、内容の是非だと思ったし、当時そう書いたけれど、だけど、そういう意味もあったのかな、と、今頃思う
Lab を4回見て私が感じたのは、場で取りくもうとしていることは、FICTIONから続いてきた流れの先の、大きな局面、新しい取り組み、だけれども、山下澄人の演技に対するこだわり、というか、芯、真、根っこ…? そこは、ひとつも変わってはいない、ということ
mtu/watu は少しちがう角度に思うけれど、だけど、どの過去作品を見ても、Lab でやろうとしていることは、きっと知ることができる
FICTIONの福島さんと新百合ヶ丘のmtu/watu で話した時
『ヌードゥルス』の稽古で、最後老婆になるシーンをやった時、山下さんに、ちがう、と言われた、背骨を一つ一つ曲げるようにやってみろ、と言われて、やってみたら、全然ちがって、声も全然ちがう声が出た、と言っていた
そんな風に、実感の積み重ねが、その人の演技に対する考え方を深くしていくのかもしれない
古い作品ほど、山下演技演出が顕著かもしれない
そんな風にも思った
さて
ちなみに、次回から私は行かれないので書けません
どうぞ、その目で、カラダで、体感して下さい
見学は、500円になりましたよ☆
2011-11-12 Lab3/∞ EIKO KIYOTA
#戯曲:ハロルド・ピンター「管理人」/岸田國士「死を弄ぶ男たち」「紙風船」/サミュエル・ベケット「行ったり来たり」「勝負の終わり」/別役実「壊れた風景」
戯曲を少し手放して、二人前に出て実験
向かい合ってイスに座り、表情をつくらず、自分の目に飛び込んできた相手の何かを言う、目、鼻、ペンダント、紫、壁、金色、若くなった、目が小さい…、相手に生まれた微妙な変化を感じるまで、機械的に言われた言葉を繰り返し、?、!、をつけながら、たまに言葉を替えて、交互に言い合う、何か内に動くまで
動いたら、それに答えていい
テンポを崩さずに機械的にキャッチボールを途切れさせない
別の言葉に変わったら、前に使った言葉は使わない、のルール
相手の言葉も聞かなければならないし、自分からも何かを言わなければ、と、頭が混乱している様子、つまり、見ているだけの側としては、それがすでに読み取れる様子、変化、なのだけど、そして、思いもよらぬ言葉に、顔の筋肉がかすかに動くのだけど、やっている側は、ルールの混乱の処理に必死だ
相手の微妙な変化に気がつかない、または、気がついているのだけど、テンポを崩さずに、それをどう言葉にするか迷って言いそびれ、ただの繰り返しのやりとりが続く
続くのがいい、ではないし、できることが立派、でもないし、そこから見える、不得意、の話が山下さんから続く
なにゆえに、できないのだろう
反省、ではなく、なにゆえに、自分は
ならば、そんな時、どう乗り越える…? 自分は
さて
表情をつかまえること、だったのか、苦手をさぐること、だったのか、それとも…どちらも、であって、そのやりにくい状況から自身に生まれた事態を考えること、なのか、危機的自己対策なのか、全部なのか、ただ、そうなる自分を知る、ということなのか
この場では、サービス精神はやめたい
> FICTIONは1.5倍やったけど
> 山田、お前は、1…いや、0.8でいいから
> あ〜〜、あ、うん、そうね、あ…、ん、ん、あぁぁ、ん
(笑)
戯曲にもどる
夫婦、夫が正面に向いてイスに座り、手に新聞紙、妻が少し離れた後ろの隅で、中央横向きで座布団にすわり、手に編みかけの編み物
この戯曲の打ち合わせと準備が成されているとわかる
そして、夫が、新聞を声に出して読み始める
数秒して、山下さんが、何で?、と問う
さて、何を、不自然、と思うのか
山下さんがアドバイスする
あぁ、そうか、と、全員が思う、はい、思いました
日常そうであれば必ず気になるはずなのに、演劇というだけで、どれだけ、見る側が、ものわかりよく、気持ち悪いぐらいに親切であるか、そして、やる側が、本に書かれてあることに無頓着であるか、知る
そして、その何で?、となることを探ることは、その人物の、あり方に繋がる
気持ちじゃない、そうと見える、カタチ、しぐさ、声、表情、行動
その、あぁ、そうか、を参加者自身が見つけたり、考えたりすること、がまず重要で、いまこの場で、それを納得して先へ進むこと、じゃなくて、だから
準備すべきは、何も準備されていなかった、と知った
全ては、戯曲の中にある、それをどれだけ読解しての、それ、か、読み込みの甘さ、疑問に思わない甘さ
そう実感した参加者は、素で青ざめ、ひとつも動けなくなった
その瞬間こそ、正しい
いや、他の戯曲チームも、あわてたに違いない
イヤな汗が、だれにも流れるような、Lab が、この時間が、甘さを逃がしてはくれないと知った
山下さんは、いたって穏やかに言う、意地悪っぽくも無く、淡々と、二人が準備した様子でそうなるとわかっていた、のだろう
けれど、やらせた
事前に教えない、やらせて間違って、実感させて、刻ませる、刻ませはするけれど、今その先を指示しない、本人がつかんでいないとわかるから、その先に進まない
人は、痛い目にあって、実感して、初めて真に知る
体罰、ということではない
教わったり読んだ頭の中の知識ではなく、極限的状態で、カラダの中で実感した泥臭い衝撃、そこから学び派生した思考だけが、圧倒的な自律をつくる
どのような状態であれば、つかめるのか
それは個々にちがう、だから、教えられない
つかんで、個々が能動的に考え始めて、そこで初めて、創作が対等に話せる、始まる
臆病になる必要はない、また間違えたっていい、遅々とした歩みでもいい、向かうべき方向が間違ってさえいなければ、それでいい、それすらも、都度自己確認していく不器用さだっていい
昔、山下さんが何かで言った言葉を思い出す
にじり寄ろうとする、そのこと
ワークショップや mtu/watu 、あの楽しい立ちあがりの奇跡の時間で、褒められた人、上手くやれた人、手ごたえを感じた人ほど、わけがわからなくなっている
いままで楽しかったじゃん、はい、いままでは
Lab は、そこでやっていない、だから、ものすごくおもしろい
この不安な状態から逃げずに、マゾヒスティックに、いや、サディスティックに、自分を甘やかさず、いいわけも排除し、ただ向かう
演出家に立ち位置を決められたとして
そのことを、わかりました、と返事して、そうとする場合
その人は、何をわかった、と言えるのか
良い返事は、その劇に、どう繋がり、何を生むのか?
なにゆえなのかの問い確認、しっくりいっていないとしたら、更にそこを通り過ぎてはいけない
山下さんはいう
そうなれば、脚本家や演出家があわてる、どれだけ考えて創ろうとしていなかったのかが、わかってしまうからだ
俳優が、消費されるコマになってしまうかは、自分の責任、と言えるのかもしれない
場で語られることを主に書いてはいるけれど、私は俳優でも参加者でもないけれど、現在ここで問われること、起こること、が、日常と別世界とは思っていない
さまざまにリンクする、だから、その部分で聞けるし、今は書ける
つまり、演技、創作、その段階に Lab はまだ行っていない
行っていないけれど、大事な部分をやっている、丁寧に、はしょらずに
やろうとしていることは、見渡せないほど膨大とだけがわかる感覚
山下さんはいう
目の前にあることを、一つ一つ、つぶしていくしかない
それでも、やる、そうとしかやれない
作品をいち早く仕上げることじゃない、研究する、そのこと
線路脇に座る男、やってくる男
部屋にいる男、男
数作、少しやってみてわかるのは、戯曲はこうすればいい、という方程式がない、ということ
個々に、それが一番輝く創られ方がある
それは、参加者がやって、初めて、正か否か見えてくる
この間、ある雑誌で、若手の女性小説家のインタビューを読んだ
自分の書いた小説が、国語の教材として使われて、設問の、その時の人物の気持ちを記しなさい、の答えを、自分は全部間違えた、と答えていた
FICTIONの竹内さんが、このようなことを言っていた
これまで自分がやっと見つけて、それでやれていた部分、じゃないところを、この場では要求されていて、だから、どうしていいかわからない、わからないけど、でも、その先へ行ってみたい、行きたいです
グッときた
2011-11-13 Lab2/∞ EIKO KIYOTA
#戯曲:ハロルド・ピンター「管理人」/岸田國士「死を弄ぶ男たち」「紙風船」/サミュエル・ベケット「行ったり来たり」「勝負の終わり」/別役実「壊れた風景」/ジャン・ジュネ「女中たち」/倉本聰「北の国から」
ボイストレーニング
なんだかんだ言っても、山下澄人は、基礎を若い時にやっている、らしい
やらないよりは、やった方がいい、けれど、やればいい、ということではない
なぜやるのか
カラダも硬いより、柔らかい方がいい、けれど、柔軟さえやればいい、ということではない
なぜやるのか
カラダの力を抜く、イスに座った状態で抜かせる、本人が抜いたと思っているだけで、触れれば、その力に耐える力が残ってる
カラダの力を抜く、とはどういうことか
声
自分の声を正しく使うために、恥ずかしい、を超えて、声をそこへ、あそこへ、あちらへ、当てて、のどを開いていく
開くために、自分のカラダを知る、力を抜く、開く、少しずつ、少しずつ
イメージで開く
それができるようになると、自身の中で起きたことが、声に直結する、らしい
内と外の合致
プチアドバイス、ゆえに、Labの時間内で皆で一緒に練習などしない
役の内面づくり、気分、じゃ無理、つまり、だから、技術が必要
そのために、どこかで見知った演技、身についた演技のアカを捨て、何も身につけていない自分であるところから立って、自分に合った正しい訓練で技術を身につける
真の声を出す、その障害に、肩甲骨、肩、首まわり、などの、余計な力があるならば、そこをほぐすイメージ
自分の開放されていない筋肉をさぐる
それは、個人個人ちがう
以前観たある演劇で、カラダの固い人がダンスをする設定で、で、それは実際にもそうで、その人がアフタートークで言っていた
だんだん動けるようになってきて、結構できるようになったなー、手もスパッとだせるようになった、と思って、その日の稽古の録画を見たら、全然自分が思っているような俊敏さは無くて、ヘナヘナで、初めて、自分が思うことと、やれていることが、こうも違う、というのを実感した、と言っていた、のを思い出した
そのものになる
人間と生活する言葉をしゃべる猿
山下さんが、背骨の話をして、やってみる
その成り立ちから、猿が立った時の姿が、はっきり見えた
あー、そう、昔、CMで、ウォークマンをした猿、あの姿とリンクした
おかしいぐらいに、そう、それ、って思った
では、どういったことが、更に、そのもの、に見えるのか、は、自分との共通点を見つけるより、違いを見つけ、その違いを、何かで観察、研究し、取り入れるところから、そのものが浮かび上がって見えてくる、らしい
まさとくん、動物園で観察予定
さて
さて
次回は、来週末
2011-11-12 Lab1/∞ EIKO KIYOTA
#戯曲:ハロルド・ピンター「管理人」/岸田國士「死を弄ぶ男たち」「紙風船」/サミュエル・ベケット「行ったり来たり」「勝負の終わり」/別役実「壊れた風景」
さて
何から始まるのか、どう始まるのか、いや、何が始まるのか
開始ギリギリで向かったレッドベリーには、知っている人も、初めての人も、この場所で会うのが初めての人、もいて、少し緊張の高揚
さて
山下澄人は、というと、肺炎らしいけれど、ぐったりしている感じは見受けられない
いつもと同じ、面倒くさそうな雰囲気(笑)
さて
さて
山下さんの開かれたファイルから、いくつかの戯曲本の数ページのコピーが適当に配られ、皆が軽く目を通す
さて
山下さんが適当に人選し、しっかり読み込んでいない戯曲をダイレクトに頭からやってみる
ラストなんて知らない、登場人物の素性もわからない、ただ、頭から、読まれるそのままに動いて、セリフを言ってみる
たとえば、部屋の様子も、読まれるそのままに、ドアが、どの方向にあるのか、座っている順番がどうであるのか、立ち位置がどうなのか、すべて、書かれ表現されるまで、暫定であり、わかった時点で、そのように修正し、少し戻って、再びそのシーンをやってみる
まず
昔の翻訳ということで、難しい漢字があり、読みにくい
もしくは、書体の印刷も、字が小さくて、画数の多い漢字の判読は、老眼世代には、読みにくい
まるで、国語の授業のように、たどたどしく読解していく
あの場に立って、ほぼ初見で、読解しながらやってみることの怖さ
先生に当てられて、答えを考えておらず、それでも立って答えるような、あの心細い緊張
わっかんねーよ、で、済むはずもなく、選ばれた人は、必死にテキストに向かう
漢字の読み方を都度聞きながら、聞かれてこちらもドキドキしながら(笑)、書かれてあることを整理しながら、そのことが示す意味を考えながら
読み進みながら判明していく状況を、都度修正していくそのことが、その戯曲の意味するところを、正しい目線へと導く
あぁ、本て、こうやって読むのか、そんな風にも思った
私は、本の読み方がわからないから、本が好きじゃないんだな、そんな風にも思った、だからって、これから読むぞ、とはならないのだけど(笑)
こりゃ大変だ、だけど、場で発見していく過程が、おもしろい
ひとりひとりが考えて、だれも仕切らず、前に出た者で、相談し、山下さんは、時々アドバイスする
人も替えて、ある程度やってみて、その戯曲がテキストにふさわしいか、山下さんが、おもしろい、難しい、と、判断する
難しい、は、何がどう難しいのか、私には全くわからない
戯曲、というものを私は以前一度読んだことがある
その時の印象でいうと、台本と違って、舞台セット状況や、照明、音楽など、作家によって詳細度はさまざまのようだけれど、細かく指定されていることで、だから、あれがあれば、演劇は素人でもできる、と率直に思った
その、できる、は、一応形にはなる、という意味
だけど、それは、ただあて込むということであって、戯曲を劇にする、ということのおもしろさは、どういったところにあるのだろう、と思った
当時読んだ戯曲の舞台を見た
演出家が、あえて、戯曲そのままに、上演した作品だった
劇場から指定された戯曲で、演出家自身も、戯曲をやることの意味がわからず、あえて手を出さずに活動してきたと説明していたけれど、結果選んだ手法は、自分の演出を封印し、そのまま脚色せずにやってみる、ということだった けれど、全然おもしろくなかった
役者もそのままに動いていた
劇場から声がかかるぐらいの若手の名の売れた演出家だったけれど、絶賛されていたけれど、原作も有名作家だったけれど
眠かった
やることに意義がある、とは思わない、それは、発信する側の都合でしかない
たぶん、あの演出家が、戯曲はおもしろい、またやろう、とは思わないだろう
やっぱりおもしろくない、とわかったことが唯一の収穫だとしても、それは、発信する側の実験でしかない
発信する側が、おもしろい、と思えていない状態のものを、決められた日程だからと垂れ流すことは、ちがうと思う
Lab で山下澄人が時々説明する言葉は、とても刺激的だった
ヘタな国語の授業の読解より、頭を使う
かみ合ってないセリフ、やればいいのにそうとやらない繰り返されるセリフ、あ、針が飛ぶレコードと一緒だ
不条理のセリフが、いかに不条理でないかの状況を考えてみる
これは、不条理なんだ、ということで、そのまま納得して素通りしない
全ての登場人物が、それぞれに、自分に素直に、あの場にいる
変な人、というのではなく、ひとりひとりはきっと真剣で、でも、それらが合わさって、シーンが見えると、ちぐはぐだったり、歪んでいたり、イライラする…のか?
いや、まだ、読み始めて見つけられていないシーンだけど、私は気が短いから、堂々巡りの進展しないセリフのやりとりは、居心地が悪い、イライラする、キーってくる、じゃあ、私がレコード止めてきてあげるし、決断できない人同士で、この道がどうかな、どう思う?、というやりとりも不毛にしか思えないから、だったらさー、とにかく行ってみなよ、って登場人物に言いたくなる
かなり、イライラした
だけど、そうじゃないんだ、きっと、あれが、たぶん、おもしろい不条理になる、読み解けば
あれが、すっと、おもしろく自分に入ってくる創られ方が絶対にあるはず(と願う)
そんな予感
なぜこうなのか を考え、少しずつ開き解いていく
果たして、正解が、戯曲にあるのかさえ知らないのだけど
今回、初めて、小林エレキさんを見た
小林さんの演じる普段を知らないのだけど、あの人をずっと見てた
おもしろい
なんで、この人をおもしろいと思うのか、ずっと見てた
また見たいなー
久しぶりに、FICTIONの山田さんを見た
山下さんの言うことに、あぁぁ、あぁぁ、と細かくはっきりうなずきながら納得する、それは納得し過ぎじゃないか? と怪しいぐらいに納得する
おかしい(笑) ウソくさいぐらいに、納得がおかしい、ホントに全部納得してるのか?(笑) 超肯定ナチュラル
これまで山下さんがFICTIONで活動してきたワークショップやmtu/watu とは違う
個人が放つものを引っ張り出して劇にしたもの ではなく
それらの真逆、というより、更に、より、見る者から言われたことを肯定して、それに乗っかって、より自分を知り、そこを開きはがし、誰にも向かっていない、とりつくろったり、こう見られたい、の無い、根底の自分にまで降りる
そこから出てくる、その人の、本当の声、を見つける
それで合ってる? ちょっと聞き取り具合が私自身調子悪かったので、書いてることが違ってたら教えて下さい
さて
バラバラと書いたけれど、それらが、どう演技の技術に向かうのか
わかるようで、わからない、けど、おもしろいよ Lab
というか、ワークショップ、mtu/watu、ときて、でも、私が本当に知りたかったのは、Lab でしようとしていることだと、お知らせを読んで思っていたから、初日見て、超スローペースだけど、でも、そう、これ、そう思った
